ひとり言最近思ったこと)
考古学ブーム





考古学上の新しい発見が次から次へと発表され、新聞紙上を賑わせているが、そこから得られる情報は、あくまでも当時の食生活や共同体の仕組み、或いは祭祀の状況等、古代人の暮らしぶりであって、人々の豊かであっただろう・ところの発想や、信仰・思想内容までは辿り着けないもどかしさを感じる。

例えば、銅剣や銅鐸、様々な鏡の類が当時の祭祀に用いられた、として説明はつくかもしれないが、そこで執り行われたであろう祭祀の内容や思想性までは踏み込めないのでは?と思われる。
そういう意味に於いて、現在も日本各地に残されている、古儀祭祀模様を伝統的に伝える古社の様子に照らし合わせてみる事は必至であろう。
そして、其の古社の多くが「記・紀神話」の伝承を受け継いでいるのであれば、尚更のこと、現代人の視点、価値観で模索するよりむしろ、1200〜1300年遡った歴史書「記・紀」に其の真実を観るほうが妥当だとも思われるが・・・・
古社の祭祀内容も時代の移り変わりと共に幾多の変遷はあったとしても、其の核’となる部分は充分説明がつくだろうし又、伝統は保持されなければならない。

個人的に歴史に興味を抱き、其の視点とするところは古代人の暮らしに於ける発想や自然との関わり、そして共同体からやがて国家形成へとの時代の流れであり、発展の歴史でもあると思うのだが・・そこに我々は或る種「癒しの思想」を求めているのも事実かもしれない。

人類誕生以来、今日まで、肉体的な進化(変化)と精神的進化の関係は相互に作用しながらも別々の道を歩んできた、という想いに立った時、古代人も現代人も個人の夢や理想とする社会及び、人間関係に於いて現実との大きな隔たりを感じ、そして様々な摩擦を繰り返し続けてきた、という過去を振り返ると、自分自身時空を超えた共通認識の一致に安堵感すら感じ、より身近な存在として古代観を取り込むことが可能なのです。勿論、観念・感想世界として・・・

現代は、社会がより複雑に成り過ぎ、個人レベルでは把握できない程世界が広がり、多量の情報が溢れ、其れに飲み込まれてしまいそうな、危うい自己の存在・・・
古代人と現代人との間に幸せ度合い’も進化しているのでしょうか・・・?

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