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[ でんでんむしのかなしみ ]
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かなしみつながりで、新美南吉の詩を紹介しよう。 美智子皇后が好きな詩というので一躍有名になってしまった(ってその前から有名かな)けど、いい詩なので。
でんでんむしのかなしみ
いっぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ その でんでんむしは たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで うっかりして いたけれど、わたしの せなかのからの なかには かなしみが いっぱい つまって いるではないか」
この かなしみは どう したら よいのでしょう。
でんでんむしは おともだちの でんでんむしの ところに やって いきました。
「わたしは もう いきて いられません」
と その でんでんむしは おともだちに いいました。
「なんですか」
と おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは なんと いう ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるのです」
と はじめの でんでんむしが はなしました。
すると おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」
それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。
すると その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」
そこで、はじめの でんでんむしは また べつの おともだちのところへ いきました。
こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも おなじ ことを いうので ありました。
とうとう はじめの でんでんむしは きが つきました。
「かなしみは だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらえていかなきゃ ならない」
そして、この でんでんむしは もう、なげくのを やめたのであります。
2002/10/28(げつようび)
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[ かなしみ ]
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連日、北朝鮮による拉致被害者の一時帰国のニュースが報道されている。育休中で一日中家にいると、新聞もゆっくり読めるし、ワイドショーも含め、ニュースを見る機会が増えるので、この問題についてもかなり詳しくなってしまった。
とはいえ、私は、他の一般的な日本人と同様、北朝鮮の歴史とか拉致問題について、今回はじめていろいろ知ったわけで、深く理解したとは言いがたい。はっきり言って政治的なことは全然わからない。
しかし、一人の人間として、若いときに他国に拉致され、帰国することは絶望的な状況で、そこでの生活を続けていかなければならなかった彼らの胸中を思うとき、胸が詰まる思いがする。
一時帰国して故郷に帰った彼らの様子をテレビで見ながら、私は「永遠に損なわれてしまったもの」について考える。それは「若さ」とか「歳月」というものだけでなく、彼らの中で確実に「何か」が永遠に損なわれてしまったのだと痛切に思う。 また逆に24年という気の遠くなるような年月を経てなお「損なわれなかったもの」についても考える。それもまた「望郷の念」とか「肉親への愛情」というものではなく、もっと深く本質的な「何か」が「拉致」その後の「長い歳月」そして「教育」をもってしても損なわれていないとしたら、それは一体どのようなものだろう。人間の根源、精神の根源について考える。
そして最終的に私は彼らの中に「深いかなしみ」を見る。
2002/10/24(もくようび)
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[ ムボー ]
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子連れ(3歳♂と2ヶ月♀)でディズニーランドに行った。
・・・死んだ。
無謀だった。
今度はジジババと一緒に行こうと心に誓った。
今回、ワケあってダンナとは現地集合になった。 私は、二人の子供を車に乗っけて、首都高湾岸線をぶっちぎってディズニーランドに行かなければならず、半泣きだった。首都高を運転するのは初めてだったし、カーナビはもちろん、地図もないのだ。ダンナは 「高速で迷うわけないじゃん。下りたら看板出てんだし。」 という冷たい言葉でバカにする。うちのダンナは、ほとんど地図を見ない。車に積んであるのは、ものすごく大雑把な全国道路地図だけで(それもすごく古いヤツ)、私はいつもとても不安なのだ。カーナビがほしいと言っても一笑に付される。 そんなだんなの前で、たかがディズニーランドに行くために地図を買ったなどとばれたら死ぬまでバカにされるので、しょうがなくネットの地図検索で迷いそうなポイントだけをピックアップして、プリントアウトした。それすらもダンナは「紙の無駄」とバカにしたけど、こっちは子連れで首都高乗るのだから、それくらいさせてもらいたい。
それで、なんとか迷わずにインターで下りることができた。あとは看板が出てるので、簡単だった。なんだ、やればできるじゃん。 その日は近くのホテルに泊まることになっていたので、ホテルの駐車場に車を止めて、そこからリゾートラインに乗ってランドまで行った。子供二人分の荷物(オムツやら着替えやらジュースやら)を抱え、一人をベビーカーに乗せ、一人の手を引いてえっちらおっちら歩いていると、ホテルの人がびっくりして、ベルボーイの人や案内係の人が「もう皆様おそろいですか?」と何度も聞いてきた。まさか一人で幼児と乳飲み子を抱えてランドに行くとは思えなかったらしい。
詳しく話せば、もっと大変だったのだけど、今回はそれは省く。 自分の中で、今までMAXに大変だったのは、息子を連れて(ダンナ抜きで)友人(やっぱり子連れ)と電車で箱根に旅行に行ったときで、何かあるとそのときのことを思い出して頑張ってきたが、今回の経験はそれを上回った。移動は車だったので、その点は楽だったけど、おりてからはハンパじゃなかった。
人間はこうやって経験値を上げていくのだなぁとつくづく思ったことだった。
2002/10/09(すいようび)
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