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♪- にっきちょう -♪

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[ 智恵子抄 ]
何度も読み返す本がいくつかある。エッセイでは向田邦子の「父の詫び状」。童話なら宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。そして詩集は高村光太郎の「智恵子抄」だ。

朝日新聞の夕刊に〈「智恵子抄」の余白〉という文章が連載されていた。「智恵子抄」ゆかりの地を訪ねるという企画で、智恵子の生家のある福島や療養をした九十九里、光太郎とデートをした日比谷公園などが出てくる。思えば私はそのすべてに足を運んでいるのだった。
福島には高村智恵子記念館というのがあるが、これはいまいちだった。「智恵子抄」に誘われてうっかり足を踏み入れると後悔すること間違いなし。とてもしょぼい。そんなところに行く暇があったら「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空」を探すほうがなんぼかマシである。
九十九里にも「千鳥」はいない。ちい、ちい、ちい、と呼んでも千鳥はやってこない。光太郎はどんな思いで千鳥と戯れる智恵子を眺めていたのだろう。そこにはただ波が打ち寄せているだけである。

私はなぜ「智恵子抄」に魅かれるのだろう。読むたびに胸が苦しくなるのは、光太郎と智恵子があんなに愛し合っていたのに、結局はお互い何一つ相手を理解していなかったのではないかという結論に達してしまうからだろうか。光太郎の詩が、文学作品としてあまりにも完成度が高いために、返って智恵子の孤独さが浮き彫りになってしまっているからだろうか。確かに光太郎は智恵子を愛していたのに、そして智恵子にもそれはわかっていたのに、二人は破滅への道をゆるぎなく進んでいく。人が人を愛するということはこれほどつらく険しいことなのだと「智恵子抄」は教えてくれる。にもかかわらず、私はこの二人に憧れているのだ。智恵子に嫉妬すらしているかもしれない。

私はこれから先、また何度も「智恵子抄」を読み返すだろう。しかし、何度読んでもきっと答えは見つからない。
2003/03/27(もくようび) はれ


[ 春な忘れそ ]
うちの近所に、もとはかなりなお屋敷だったろうと思わせる廃屋がある。庭に雑草は生え放題、門扉もぼろぼろで針金が巻きつけてある。盛者必衰という感じで、今にも中から末摘花(注1)でも出て来そうな風情だ。
そこんちの庭に、立派な梅の木が植わっている。隣の家の二階の屋根と比べてもはるかに高いので、梅の木としては大木だ。今までこんなに大きな梅の木を私はみたことがない。普通、梅林とかに行くと目の高さに花がある。私は結構背が高いので、ヘタすると中腰で見なきゃならないところもあるくらいだ。

その梅の木が花をつけた。っていうか花が咲いていたから梅の木だって気づいたわけだけど。それはもう、壮観でしたね。桜の大木は見たことあるけど、梅ははじめてだったので、散歩の途中にしばし見とれてしまった。
白梅だったけど、あの梅の木には「紅天女」(注2)が宿ってるかもしんないなぁとふと思った。あれだけの大木になれば、精霊のひとつやふたつ棲みついてんじゃない?
なんにせよ、すでにあるじのいない家にこれでもかっと咲く梅の花には鬼気迫るものがある。

  東風ふかば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ 菅原道真

飛梅伝説(注3)の梅も紅梅か。しかし、梅には何かしら力があるのかもね。

注1:末摘花=源氏物語に出てくるお姫様。ものすごいボロボロのお屋敷に住んでいる。しかも美しくない。鼻の先が赤いのを、紅花に見立てて末摘花と呼ばれる。(紅花は紅の染料になるのだが、その花の先だけを摘むから。)
注2:紅天女=漫画「ガラスの仮面」に出てくるお芝居。この役を獲得するために主人公北島マヤとライバル姫川亜弓は壮絶な戦いを繰り広げる。いまだ決着はつかず、紅天女の全貌も明らかにはなっていない。梅の木の精と仏師の恋物語らしい。
注3:飛梅伝説=菅原道真の京の邸宅には、「紅梅殿」という梅の園があった。二月に咲き誇るその姿を、彼はこよなく愛した。しかし無念にも太宰府に左遷となる。梅はそんな道真を慕い、一夜にして京から太宰府に飛んだという。ちなみに梅の花言葉は「忠実」。
2003/03/20(もくようび) はれ


[ セレブ ]
素朴な疑問。

最近よく耳にするセレブってどういう意味なのかしら?

「セレブな女性」ってどういう人のことをいうの?
「オシャレな人」とは違うの?

流行から遠ざかって数年、とうとう言葉の意味までわからなくなりました。(泣)
2003/03/16(にちようび) はれ


[ 給食といえば ]
給食といえば、毎月献立表をもらうのだが、一体それはどんな食べ物なの?とまったく想像のつかないメニューが載っていることがある。
たとえば、ある日のメニュー。
「けんちん揚げ・土佐和え・むらくも汁・白身魚のオランダ揚げ・真珠蒸し」
皆目見当がつかない。
たとえば、ホントに子供たちは食べてるのかと思うメニュー。
「レバー味噌・マカロニあべ川」
なんだか自分の料理のレパートリーの少なさを指摘されているようで、情けない気分になるが、家ではなかなか食べない息子が保育園ではほぼ残さずに食べているのは事実だ。ちょっと研究してみようかしらん。
2003/03/13(もくようび) はれ


[ 給食 ]
4月から息子は保育園の年少さんだ。おかげで、持ち物もだいぶ減って、エプロンとか口拭きタオルとかはいらなくなった。あー、楽チン。と思ったら、代わりに箸と歯ブラシが必要になり、しかも給食は主食持参なのだ!

なぜ、主食だけ持っていかなければならないのか、はっきりとした説明をしてもらいたい。今までは完全給食だったのに、これからは毎朝ご飯をお弁当箱に詰めなければならないのだ。嗚呼、憂鬱。少食の息子のためにいろいろ工夫をしなければならないと思うと、今から頭が痛い。しかも、食中毒に非常に敏感になっている行政は、とにかくうるさい。ふりかけはダメ、ゴマ、梅干のみOK。海苔すらダメだ。ましてや炊き込みご飯など言語道断。そんなんで、どうやって工夫しろというのか。パンならバターかジャム程度。サンドイッチや菓子パンはNG。あれもだめ、これもだめ。そこまで言うなら主食もだせよ!と言いたい。乳児クラスは出るんだから、できないわけじゃないんだし。キュウリやトマトまで熱湯消毒するご時世に、自宅で朝早く詰めた弁当を持ってこさせるのに無理があるのだ。夏場は、その弁当を集めてクーラーをガンガンに効かせた部屋においておくという。だから、そこまでするなら完全給食にしろっつの。だいたい、「保育に欠ける」から保育園に預けるのであって、いくら主食のみとはいえ、毎朝お弁当を詰める、その時間も惜しい親がほとんどではないだろうか。
だから、父母会ではかなり前から、市に掛け合っているらしかったので、息子が年少さんになるまでに完全給食になるんじゃないかと淡い期待を抱いていたが、ダメだった。
ここで、最初の疑問。なぜ、年少になると、主食を持参するのか?子育て支援課(そもそもこのネーミングが人をバカにしていると思うのだが)に問い合わせればいいのだろうけど、まだ聞いてない。それくらいの年齢になると、食べる量がまちまちになるので、主食で調節するということなのだろうか、と思ったりしたが、小・中学校は完全給食なわけで、保育園だけそんなことをしても無意味だと思う。ますますわからない。
わかっているのは、4月から確実に朝の仕事が増えるということと、朝食がパン食からご飯食になるだろうということ。だって、そのためだけに朝、ご飯を炊くのはもったいないじゃない?
2003/03/09(にちようび) はれ


[ 新刊本の醍醐味 ]
最近、本を買った。別に珍しいことじゃないけど、家の近所に大きな本屋がないので、仕事をしていないとなかなか本屋に行く機会がないのだ。会社の近くには大きな本屋があって、昼休みにちょっと寄っては、ついつい本を買ってしまっていた。その点、今はわざわざ行かないといけないし、娘を抱っこしていては、立ち読みもできないから目当ての本だけを買うことになるので、無駄遣いは減った。

いやいや今回はそんな話でなく。
基本的に衝動買いするのは文庫で、狙って買うのは単行本だ。新刊が出るのを待って、発売日に買いに行く。好きな作家の本は単行本で買うのが礼儀と思っている。こうみえて古風な女なの。
というわけで、桐野夏生の『リアルワールド』(1400円)と宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』(上下巻・各1800円)を買った。娯楽本ばかりなのが情けないが、それはおいといて。
何がびっくりしたって、その3冊が、新刊なのに並製なのだ。並製というのは、表紙がやわらかいやつね。普通、単行本は表紙の硬い上製で作る。最近はそうでもないけど、それでも小説まで並製になるとは。隔世の感がある。
私はこれでも出版界の端っこに生息している人間として、昨今の出版事情をたいへん憂えている一人であるが、それにしてもここまできたか!という感じだ。

別に私も本を開いたときにインクの匂いがして欲しいとまでは言わない。活版印刷はほぼ絶滅しているし、そのせいでお値段が上がるのも困る。しかし、新刊本のそれも小説に並製は許せない。私が読んでいる本のランクが下がったわけじゃないと思う。ベストセラー作家の本じゃないか。どちらも直木賞作家だよ。二人とも受賞作(宮部みゆきは『理由』、桐野夏生『柔らかな頬』)はたいしたことなかったけど、宮部みゆきは『模倣犯』、桐野夏生は『OUT』の作家だよ。それまでは上製本だったじゃないの〜。どうしてさ〜。

新刊の醍醐味って、あのパリッとした表紙と、ズッシリした重量感がいいんじゃないの?あぁ、新しい本買ったわ〜。と思うあの充足感を味わうものじゃないの?
そもそも紙媒体自体が廃れつつある現代において、そんなものを求めるのも無理な話かもしれないけど、なんだか味気ない世の中になったな〜。

2003/03/04(かようび) はれ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:くくみ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]