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[ 保昌先生 ]
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学生時代に1年間ゼミ形式の講座をとっていた。
実際のゼミとは別に好きな先生や好きな題材で選ぶ講座で、いくつかとっていたけど、大半は忘れた。
その中で横光利一の講座を担当していたのが保昌正夫先生だった。私がなぜ横光を選んだかといえば、近代文学の中でかなり異色の作家だったということよりも、作品数が極端に少なく、短編ばかりなので、たくさん読まなくて済むだろうというあさましい魂胆からだった。
授業は、毎回一つの短編を読み、それについての作品評(というか単なる感想)を述べ合うもので、とても楽しかった。最後に先生が作品や横光について講義してくださるのもありがたい貴重な体験だった。
先日、仕事の関係から先生が昨年に亡くなっていたことを知り、さらに先生を偲ぶ追悼文がとある雑誌に掲載されているのを読み、すごい偉い先生だったことを初めて知った。横光に関して言えば、「権威」といっても過言ではないのだった。ひえ〜。
先生の全体の雰囲気はどう見ても着ぐるみの熊さんで、たぶん生来の剛毛なのだと思うのだが、年齢を重ねても白髪にこそなれ量はたっぷりある頭髪は重力に反して上へ上へと伸びていて私はひそかに「爆発パイナップル」とあまりに失礼なあだ名を付けていたのだ。今思うと、若気の至りで、冷や汗ものだ。ご自身もまったくえらぶったところのない気さくなお人柄で、大きなべっこうの眼鏡の奥で小さな目をニコニコさせてお話をしてくださった。
だから、そんな偉い先生だとは全然知らなかったのだ。私が近代文学を専攻していれば、先生の論文を目にする機会もあり、認識を新たにすることができたのだろうが、あいにく私は中世文学を専攻していた。横光はあくまでも一こまの講座にすぎなかった。まあ、言い訳に過ぎないが。
講座の終わり頃に、レポートを提出し、後日面接があった。内容についてどんなことを言われたのかは忘れてしまったが、文章の書き方について「君の文章は勢いがあってとてもいい。しかし、体言止めが多すぎる。体言止めはここぞというときに使うんだよ。それに気をつければもっといい文章がかけるよ」とおっしゃってくださった。その言葉が今でも心に残っていて、文章を書くときにいつも「体言止めに気をつけて」と自分に言い聞かせながら書いている。
学生時代に学んだことというのは、すぐに効果が現れるものではないけれど、時とともにじわじわとそのありがたさが身に染みてくる。勉強に無駄はないのだ。嗚呼、なぜそれに早く気づかないかなぁ、私!
合掌。
2003/05/27(かようび)
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[ なかったのが不思議 ]
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オムツを買いに行ったら、メリーズが新しくなっていた。 どこが新しくなっていたかというと、反対にはかせてもずれなくなったらしい。 これは子供を持った人でないとわからないのだが、赤ん坊は寝返りが出来るようになると、オムツがえの途中でもくるりん、くるりんと寝返ってしまって、じっとしていない。無理やりオムツを止めてもずれてしまって途中で脱げたり、最悪はウンチがもれたりするのだ。 そこで私などは、寝返った状態(お尻が上)でオムツをしてしまうことがある。オムツの形状は前後で微妙に違うのだが、まあいたしかたない。 ところが、今度のメリーズは「後ろ向きにも止められます」というわけだ。私などからすれば、当然だし、今更何をという感じだが、全国のママたちも同じ気持ちだったに違いないと思うと、ちょっと嬉しい。 残念なのは、娘はメリーズだとおむつかぶれをしてしまうので、使えないのだ。
2003/05/25(にちようび)
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[ 万歩計 ]
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息子の運動量が並じゃないので、ためしに万歩計をつけてみた。 そしたら午前中だけで1万歩という驚異的な数字が出て、えらいびっくりした。いくら歩幅が小さいとはいえ、すごい。
母が息子を見てぽつりと「あれだけ動けば痩せるわよねぇ」と洩らしたのが印象的だ。母は痩せたい、痩せたいといいながら、一日の歩数が数百歩という日があるのだ。とりあえず歩け、母よ。
2003/05/22(もくようび)
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[ カブスープ ]
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カブをもらった。 さてどうしよう。 私はカブ料理のレパートリーが全くない。酢カブか浅漬けくらいか。ぬか漬けはぬか床がないとできないし。料理本をひっくり返しても似たり寄ったりで食べたいカブ料理がない。
全然話は変わるが、10年位前に京都へ行った時にふらっと入った小料理屋で食べた甘鯛のカブラ蒸しは絶品だった。後日、同じ店を探して四条河原町をさまよったが、結局見つからなかった。まぼろしの逸品である。
悩んだ末に、母に電話。そこでカブスープはどう?と言われた。母も最近覚えた料理で、知人に好評らしい。
レシピ。 1 ナベに水を入れる。そこへ一口大に切った鶏肉を入れ、火にかける。沸騰してきたら、あくをとりながら鶏肉に火を通す。固形スープの元一個も入れる。 2 カブは皮をむき、4等分して、1のナベに入れる。葉の部分を2センチくらいに切っておく。 3 カブが柔らかくなったら、西京味噌で味付け。 4 最後にカブの葉を散らし、バター大さじ1を加え、火が通ったら出来上がり。
要するに洋風味噌汁。ポイントは西京味噌。甘い味噌がカブによく合う。息子に好評で、以来わが家の定番メニューとなった。カブが柔らかいので娘もよく食べている。 めちゃめちゃ簡単なので、お試しあれ。
2003/05/20(かようび)
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[ モモちゃん ]
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女の子が生まれて、ピンクピンクと浮かれていた私だが、そろそろ熱も冷めてきた。っていうか娘、ピンク似合わないし。大きな誤算だ。まあ、最初から分かっていたことだけどね。私似のおたふく顔になかなか伸びない髪の毛。それでもふぞろいに長いのがあったので揃えたら香田晋になってしまった。そんなんでピンク着せても気の毒なだけだった。目が覚めた。
さて、それはともかく。 女の子が生まれたら読んであげたい本があった。松谷みよ子の〈モモちゃん〉シリーズ。絵本も出ているようだが、私は児童書として読んだ。いまだに持っている。子供の頃の愛読書だ。 モモちゃんと黒猫のプー、おいしいもののすきなくまさん、双子の靴下タッタちゃんとタアタちゃん、とにかく出てくるキャラクターがいい。 内容的にはかなりヘヴィーで、パパとママは離婚しちゃうし、さらにパパは死神に取りつかれている。そのエピソードも折々に盛り込みながら、全体は明るくほのぼのとして、楽しい。 読んであげるにしても、まだまだ先の話だが、私はこの本を読んであげたくて、女の子が欲しかったのかもしれないと思う一冊だ。
2003/05/19(げつようび)
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[ イヌ派・ネコ派 ]
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人間をイヌ派、ネコ派に分けると、私はどっちだろう。自分のことはよく分からないが、息子は確実にイヌ派、娘はネコ派だ。 息子は、とにかくかまってもらいたがる。じゃれつく。高じてくると人の顔を舐めまわす。まるでイヌだ。口ぐせは「ひとりじゃさびしいんだよぅ」。イヌが言葉を話せたらこんな感じかも。 それに比べ、娘はマイペース。お気に入りのおもちゃをくわえて一人でずっと遊んでいる。寝るときもベッドに連れて行って寝かせると、自分で居心地のいい場所を探し、そこですうすう寝てしまう。一人でのびのびしたいんだから、ほっといてという感じ。 同じきょうだいでも全然違うなぁと常日頃思っている。
2003/05/12(げつようび)
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[ 犬ゾリ ]
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気まぐれにネットで娘の名前を検索してみた。
そしたら、北海道の稚内で行われた犬ゾリレースに出場していた。 弱冠4歳。一頭引き。愛犬の名前はアンリー。ヘタしたら犬のほうが年上か?
蔭ながら応援することにした。 がんばれまおちゃん!めざせ犬ゾリ世界一!
2003/05/07(すいようび)
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[ たたんでもたたんでも ]
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保育園の洗濯物が山ほどある。 息子の荷物はだいぶ減ったのだが、その分、いやそれ以上に娘の荷物が多いのだ。 まずエプロンと口拭きタオル、各2枚。ミルクを飲むときに当てるタオル、1〜2枚。お尻拭きタオル、平均2〜3枚。それに着替え。 そこに息子のどろんこシャツと手拭きタオルが加わる。コップ袋も毎日洗えと言われたときは、キレそうになった。これから夏。プールやシャワーの後に使う体拭きタオルが加わる、恐怖の季節だ。 働いているので毎日は洗濯ができない。2日に1度が限界だ。すると1回に上記の2倍の洗濯物が出る。4月に入ってから小物干しを買い足したが、それでも足りない。 ちっちゃい洗濯物が山ほどあって、干しても干してもちょっとずつしか減らない。乾いて取りこんで、たたんでもたたんでもやっぱり全然減らない。 金曜日にはシーツとバスタオル(×2)を持ち帰るので、大物が加わり、さらにすさまじいことになる。 今の私の気持ちは。
たたんでもたたんでも なほわがくらし楽にならざり ぢっと手を見る
あー、た〜す〜け〜て〜。
賽の河原の石積みのよう。あるいはシジフォスの苦役。
2003/05/03(どようび)
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[ 雁風呂 ]
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雁風呂という言葉を初めて知った。「がんぶろ」と読む。決して色黒の女子高生のことではない。(そりゃガングロやがな!) 字面だけでは何のことかさっぱりわからない。イメージすらわかない。 これは、雁が北へ渡るころ、海岸に寄せられた流木や落木を拾い集めて風呂を焚くという、東北地方の風習から発生した言葉だ。
雁は渡り鳥なので、海をこえる時に、途中海上で羽を休めることができるように木片をくわえている飛ぶと言われていた。 無事渡りを終えて日本に到着すれば木片は不要になるので、それは海岸に捨てて暮らす。そして春になると再び渡りをするために海岸で木片を拾いくわえて飛ぶ。 ところが、春になり雁の群れが彼方へ飛び去った後に、木片が残る。それはつまり、日本にいた半年の間に捕らえられたり、死んでしまった雁のものだろうと人々は考えた。 可哀想な雁の形見を拾い集め、供養するため燃やして風呂を焚くようになったというのが、雁風呂の由来だ。哀しい話だ。 実際には、雁が渡りの時に木片をくわえているなどという事実は全くなく、俗説にすぎない。 しかし、海岸に打ち寄せられる流木から古人が想像したエピソードはあわれを誘い、長く語り継がれることとなったのだ。 海岸に落ちている流木ひとつでそこまで話を膨らませるのもすごいなぁと思うが、なかなかに趣き深い言葉である。
雁風呂。その語感からは想像できない悲話である。
2003/05/02(きんようび)
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