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♪- にっきちょう -♪

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[ みかちゃん ]
息子が一番好きなのは、同じクラスのみかちゃんだ。クラスでもピカイチの美人さんで、おしゃれさん。毎日一度は息子の口から「みかちゃん」という言葉が発せられる。
そんな息子が今、欲しいのはうわばきと肩掛けカバン。どうもみかちゃんがご愛用らしい。
保育園は基本的にはだしなのだが、具合が悪いときや寒い冬にはうわばきを履いてもいいことになっている。息子のクラスではみかちゃんだけが靴下とうわばきをはいている。
それがうらやましいのか、お揃いにしたいのか、「うわばき買って、買って」と毎日うるさい。「先のところが青いやつだからね!」と厳命されている。週末の洗い物が増えるのがいやなのでのらりくらりとかわしていたが、「自分で洗うから」と言うので、買ってやることにした。
肩掛けカバンは、みかちゃんのほかにも何人か持っていて、目新しいのでほしがっているのだ。今はリュック型を使っているので、進級したら買うことになっている。やれやれ。
そのうちお弁当箱とか歯ブラシにも注文をつけるのではないかとびくびくしている。
2004/01/30(きんようび) はれ


[ 風の又三郎 ]
人間、いくつになっても知らないことってあるもんだ。
先日、知人(50代男性)と話をしていたら、その人はぎんなんの実はあの硬い種の部分だけが木になっていると思っていた。じゃあ、あの臭いにおいはどこからくるわけ?いろいろ聞いていくと、胡桃の実もあの硬い種がなっていると思っていたらしい。恥ずかしいことだ。
まあ、私だって胡桃がなっているところを実際に見たことはないけどさ。わかりそうなもんじゃない?

さて、「にほんごであそぼ」の今日の名文コーナーで「風の又三郎」の出だしの部分をやっていた。

どっどど どどうど どどうど どどう

ってやつだ。息子が気に入って、言いながら走り回っている。これには続きがあって、

青いくるみも吹き飛ばせ 酸っぱいかりんも吹き飛ばせ

というのだ。この場合のくるみはもちろん木になっている実のことである。形としては梅のちょっと大きいくらいのもの。くるみもかりんも今はほとんど目にすることがないので、子供に説明するのに苦労する。
余談だが、今、一番欲しいものは地球儀と百科事典(子供用・オールカラーなら尚よし)だ。すでに自分の知識では答えられない質問が増えてきて、ここはやはり現物を見せるのが一番だと思うのだ。説得力もあるし。

何でも(グリム童話とか)なるべく原書に近いものを読むのがいいと思っているので、風の又三郎も自分の新潮文庫を引っ張り出してきて、息子に読んでいるが、これが難しい。なにがって、東北弁で書いてあるのだ。読んでて、自分で何を言ってるのかわからないのがつらいところだ。イントネーションとかも正確じゃないだろうし。原書っていうのも良し悪しだなぁ。子供向けの標準語に直してあるやつを買おうかしらん。いやいや日和るのはよくない。うーん、うーん。
2004/01/27(かようび) はれ


[ ひきつけ ]
年末からついていない娘だが、今度は風邪から高熱を出し、夜中にひきつけた。
子供は簡単に熱を出し、高熱になるとひきつけるというのは、知識としてはあったが、実際にその場面に遭遇するとびっくりする。
前の晩から機嫌が悪く、翌朝には38度の熱があったので、保育園を休ませて医者に連れて行った。熱以外の症状がないので、インフルエンザを疑ったが、病院で検査してもらったところ、陰性だったので、風邪の抗生物質を出してもらって帰ってきた。
家について熱を計ると39度2分に上がっていて、目がうつろになっている。呼んでも反応がないので、しばらく娘の名前を呼び続けたり、慌てて解熱剤の坐薬を入れて寝かしていると、意識が戻ってきた。今から考えると、あれはひきつける前兆だったのだな。
その後は、様子を見ていたが熱も38度台に下がり、食欲もそこそこあったので、夜にもう一度解熱剤を入れて寝かしつけた。
ところが夜中の2時頃、ぐずっているなと思っていたら、突然ものを言わなくなって体が震え出した。
そこで思ったのだが、私は、実際にひきつけた人を見たことがないので、これがそうなのか(そうに違いないけど)分からないのだ。イメージとしてはひきつけるという言葉から硬直するか、小刻みに震えるのではないかと思っていたのだが、実際には体でしゃっくりをしているような動きだった。もちろん、こちらの呼びかけには反応しない。

熱性けいれんはすぐにおさまるし、それ自体でどうこうなるものではないというのは育児書とかに書いてあるので、パニックにはならずに済んだけれど、どうしていいのかわからなかったので、とりあえず救急車を呼んだ。
わが家は、すぐ近くに消防署があり、電話をしたと思ったらもう来た。ありがたや。その頃には娘のけいれんもおさまり、私に抱かれたままぐったりと寝ていた。
ダンナが行ってくれるというので、娘を毛布にくるんで渡した。お財布と保険証も渡す。すぐに出発するのかと思って、ベランダからみていると、なかなか出発しない。こういう時に頭をよぎるのは「受け入れ拒否」とかいう文字だ。どこへ電話をかけても「今、小児科の先生がいないので」とか「いっぱいです。よそへあたってください」とか言われるというアレだ。
「日赤だって医師会市民病院だってあるじゃん!どっちだっていいから早く連れてけよ!」と心の中で叫んだが、どうも医者で処方された薬を持ってこいとか言われてたみたいで、ダンナが戻ってきた。薬と一緒に携帯電話も持っていく。もってなかったのかよ!とこれも心の中でツッコミを入れる。
結局、医師会市民病院へ搬送された。ここは年末のみずぼうそうの時にもお世話になったが、休日や夜間にも小児科があって、子を持つ親としてはありがたい病院なのだ。息子も何度かお世話になっている。最近は夜間にみてくれる小児科医が減っているとマスコミが騒いでいる中で、とても恵まれていると思う。場所も夜なら車で10分くらいで行ける。

そこでもインフルエンザの検査をしたが陰性。ひきつけの坐薬を入れてもらって帰ってきた。翌日にもう一度かかりつけ医に行って提出するようにと、経過報告書みたいな紙をくれたので、行ってみたが、「ああ、ひきつけましたか」といわれただけで、べつだん薬も処方されず、そのまま戻ってきた。まあ、いいんだけど。
翌日には熱が下がり、保育園に行った。あれはなんだったんだろう。やっぱり風邪なのか?

子供を持つといろいろな経験をする。まだまだ序の口って気がしてきたぞ。

2004/01/26(げつようび) はれ


[ 日常の謎 ]
夜、家に帰る道をとぼとぼと歩いていたら、電信柱の根元に靴がそろえて脱いであった。
いや、単に置いてあったのかもしれないけど、男物のその靴は、いい加減くたびれていて、靴先も乱れて、いかにも「履いていたものを今ここで脱ぎました」といった風情なのだ。
私は、電信柱を見上げた。もしかして人がのぼっているかもしれないと思ったからだ。でも、そこには誰もいなかった。当たり前か。

翌日の朝、まだ靴はそこにあった。
一体、どういう理由があって、道端で靴を脱ぐだろう。脱いだあとは裸足で家まで帰ったのだろうか。

そういえば数ヶ月前にマンションの前の電柱の下にも男物の革靴が脱ぎ捨ててあったっけ。すぐ横にはゴミ捨て場があるのだから、捨てるならそっちだろうに、なぜ電柱の下に置いたのだろうと思ったのだ。その靴も数日はそのままになっていたが、あれはたぶん管理人さんが片付けたのだろうな。

私は想像しい(騒々しいではない)なので、実はこの電柱が宇宙人との交信に使われてて、靴だけ残してUFOで連れていかれちゃったんではないかとかすぐに考えてしまう。なんで靴を置いていくのかは不明だけど。

たとえば土足厳禁の車に乗るときに靴を脱いだはいいけど、そのままドアを閉めて出発してしまったとか、そういう解釈もできるんじゃないのと思うかもしれないが、どちらの場合も靴先は電柱の方を向いているのだ。それも考えにくい。

片方だけが、道路の真ん中に落ちていたなら、こうも悩まなかったと思う。誰かが捨てようと思って運んでいるうちに片方だけ落ちたが気づかずに(あるいは気づいたけどどうせ捨てるのだからと)そのままにしたのかもしれない。それが対になって道の端っこ、電柱の下に置いてあるから気になって仕方ないのだ。

こういう日常の謎というのは答えが出ないのでもどかしい。北村薫あたりにぜひ解いてもらいたい謎だ。

2004/01/20(かようび) はれ


[ みずぽうそう ]
年末の31日、娘がみずぼうそうにかかった。
正確には、28日頃にお尻にぷつぷつがいくつかあったのだけど、その時にはまだ気づかずにいた。翌日、翌々日と発疹は体中に広がっていって、軽ければ医者にかからなくても済むかと思っていたのだけど、そのあまりのひどさに救急診療をやっている病院へ連れて行った。その時には、体中にまんべんなくあずきをぶちまけたみたいになっていて、本当にかわいそうだった。
感染病なので別の待合所で待ちながら体温を計ると39.8度もあって、またびっくり。どうりでぐったりしているわけだ。医者に見せると開口一番「これはひどいね」と言われたので、またまたびっくり。息子の時には出なかった抗生物質の飲み薬が出て、塗り薬もいわゆるみずぼうそうの薬だけでなく、つぶれた水疱からとびひになるといけないからと、別の塗り薬も出た。
肘から先と膝から先にも水疱が出るとかなり劇症ということになるらしく、今のところそのちょっと手前ですと言われた。ひどくするとまれに脳炎になりますので、注意してください。ってどうやって注意するわけよ!
まあ、結果的にはその日がピークだったらしく、どんどん良くなっていったのだけど、いまだに体にはかさぶたとその痕が残っていて、タコの吸盤で体中を吸われたみたいになっている。
将来グラビアアイドルになった時に、支障が出るのではないかと今から気が気でない。(というのはウソ)
2004/01/14(すいようび) はれ


[ 手芸 ]
私の母は4人姉妹である。
そして4人が4人とも手先が器用である。一番上の伯母は刺繍が得意で、教室を開くくらい上手い。三味線も弾ける。編物も得意で私の息子に帽子やマフラーを編んでくれた。2番目の伯母も息子にアンパンマンのセーターを編んでくれた。3番目が母で、わたしが子供の頃はよく母が作った服やセーターを着ていた。今だから言うが、家庭科の宿題をかわりにやってもらったこともある。

一番末の叔母は特に器用で、若い頃からその手の習い事を総なめにしていた。ひとつにしぼって極めれば、それなりのものになっただろうと思うのだが、そこそこ出来るようになると、次の手仕事を物色しはじめるのだった。パッチワーク・キルトもステンシルもトールペイントもビーズアクセサリーも流行る前から習い始めてブームになるとやめてしまった。
私が幼稚園に入園することになったとき、この叔母が幼稚園バッグを作ってくれた。もちろん肩掛けの黄色いバッグはみんなでお揃いのを買うのだが、いろいろな道具を入れる手提げ袋は個人で用意をすることになっていた。
このバッグが、今考えれば超がつくほど生意気なバッグだった。

当時叔母は革細工に凝っていて、私の名前をローマ字の飾り文字で革のプレート(5センチ×15センチくらい)に彫ったものを、布のバッグの中央に縫いつけてくれたのだ。その布も、紺地に黄色のピンストライプの入った大島紬のような生地で、おおよそ幼稚園児が持つような柄じゃなかった。プレートの4隅には飾りピンがついていて、その模様も叔母はわざわざ電話をしてきて「てんとうむしとちょうちょがあるけど、どっちがいい?」と聞いてくれたのだ。今の私が持っていてもおかしくないくらいきちんとした縫製で、裏張りしてある布も地味な柄だった。周りの園児がピンクやクリーム色のバッグを提げている中、それはとても場違いなバッグではあったけれども、私はとても気に入って幼稚園の2年間、使いとおした。今、子供の保育園でそんなバッグを持っている子供を見たら、ゼッタイに「生意気なガキ」と思うに違いないので、きっと当時の私もそう思われていたのだろうなと、三十年近く経た今になって気づいたのだった。

私は母たちほど器用ではないのだけど、やっぱりちまちました手芸が好きで、今も産休中に始めてしまったホワイトキルトがやりかけで滞っているのが気になって仕方がない。ベッドカバーを作ろうと思って始めたので、今のところ全く先が見えず、泣きたい気分だ。
そんな状態で、子供たちのマフラーを編みたいと思っているのだから、どうしようもない。いいわけだが、子供用のマフラーというのは、どうもちょうどいいサイズがなく、柄も気に食わない。それなら作ったほうが早いと思って毛糸を買ってしまったのだ。一目ゴム編みなら簡単だし、子供用ならたぶん毛糸も1玉で済む。
こんなことをしているから体調を崩して倒れるのだといわれそうだが、他に大した趣味もないのだし、それとこれとは別なのだ。ちまちまと手作業をしてるときというのは、面倒くさいのだが楽しいひとときで、やめられない。
今、お菓子作りと小物手芸は私の生き甲斐である。
2004/01/09(きんようび) はれ


[ 地図 ]
私の父は地図好きだ。
実家のトイレには関東の地図が貼ってあり、食堂の壁には自宅近辺の地図。もちろん本棚には、あらゆる地方の地図が納まっている。
なぜトイレに関東の地図が貼ってあるかというと、母が方向音痴だからだ。ドライブに行くと、母があまりにも方向感覚がないせいでよく喧嘩になる。それで普段から場所を頭に叩き込めということで貼ってあるらしい。気の毒だ。
近所の地図は、病院の送迎などをするヘルパーの仕事柄、細い路地などを把握するためらしい。
家にいてもしょっちゅう地図を見ている。車にはナビがついているにも関わらず、出かけるときには目的地までの道順を必ず地図で確認する。
父は若いころ高校の地理の教師だったのだが、つまり地図おたくが高じて教師になったということなのだろう。家には当時使っていた帝国書院(!)の世界地図帳がまだある。国境とかが今と全然違ってて、すでに古文書になりつつある。

父には申し訳ないが、私は母に似て、びっくりするくらい地図に弱い。なんでこんなところで?というような場所でしっかり迷う。もちろん学問としての地理も苦手だ。
それが父にはひどく納得がいかないようで、小学校の時は日本地図の白地図を買ってきて、毎日のように県ごとに色分けさせられて、場所を叩き込まれた。ついでに県庁所在地も暗記。もちろん、トイレには日本地図がでかでかと貼ってあった。私はそれをなるべく見ないように反対の壁の方を向いて用を足していた。
中学校にあがると、国内のコンビナートの位置とか平野の場所と農作物の生産量とか川の名前とか覚えさせられた。
もちろん世界地図もやった。赤道の位置も覚えたし、アジアの国々も時計回りに覚えさせられた。それらの国の主要輸出品目とかね。その時にジュートっていう言葉を覚えたが、ジュートがなんだかいまだに知らない。北アメリカの穀物の収穫量とかもお決まりの円グラフで覚えた。品目が空欄になってて、割合だけでそれが小麦だとかなんだとか推理するわけだ。
これらのことは学校を卒業したとたんすっかり忘れ、その後の人生に一ミリも役に立っていないけれど、忍耐力はついたような気がするので、すべてが無駄だったわけでもないだろう。

地名が覚えられないのだから、当然方向音痴だ。地図があっても道に迷う。そんな私なのに、よく人に道を聞かれる。長年の経験から、最近では向こうから来る人が道を聞くなというのが分かるようになった。周りに何人も歩いているのに、まっすぐに私のところへ近寄ってくる。来るな来るなと思っていると確実に来る。私の体から、何か特別なフェロモンでも出ているのではないかと思うくらいだ。
人に話すと「道を聞かれても嫌な顔しないで教えてくれると思うんじゃないの?いい人ってことよ」と言われるが、分からない道を聞かれるこっちの身にもなって欲しい。
一人で歩いていても聞かれるし、子供を連れていても聞かれるし、旅行に行った地方でも聞かれる。よっぽど知ったかぶりな顔をして歩いているのだろうか。一度でいいから、道を歩いている自分をもう一人の自分として見てみたいものだ。

さらに当然のことだが、地図を書くのも下手だ。出発点から目的地までが一枚の紙に収まらないのは毎度のことで、ヘタをすると3枚になる。しょうがないので、そのひどい地図を見ながら口で補足しようにも、目印の建物などが思い出せない。もうお手上げである。「地図の読めない女〜」という本がちょっと前に流行ったが、あれはまさしく私のことである。

2004/01/08(もくようび) はれ


[ おすぎ ]
最近気になっているCMがある。
映画評論家のおすぎがナレーションで絶賛している映画「ミスティック・リバー」で、その映画はどうでもいいんだけど、おすぎが「涙がとどめなく流れました」と言っているのだ。
初めてみた時に「そりゃ「とめどなく」だろう!」とテレビにツッコミを入れたが、それ以後もそのCMはやっている。あれ、録音した時か編集する時に誰も気がつかなかったんだろうか。
誰かが言えばいいのに。おすぎには恐くて言えないのか?そもそもおすぎって最近えばってない?常識とかそういうのをことさら強調しているような気がするんだけど、その前に日本語を勉強しろといいたい。

あとでネットで検索してみたところ、いろんな人が気づいているようだ。映画が公開されてしまうともうCMは流れないので、直すほどじゃないってことなのかなぁ。でも、恥ずかしいよな。

2004/01/07(すいようび) はれ


[ 謹賀新年 ]
あけましておめでとうございます。

12月に入ってから、一家でお腹にくる風邪を引き、えらい目にあったと思ったら、自分はまた別の病気にかかり、それが治りかけたと思ったら娘がみずぼうそうになってしまいました。

ついてない年末でしたが、今年はぜひともいい年にしたいと思っています。滞っている更新もやろうと思っているのでどうぞお見捨てなく。
2004/01/06(かようび) はれ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:くくみ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]