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[ 谷川俊太郎 ]
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出産祝いに何を贈ろうか、いつも悩んでいたのだけど、最近は誰にも同じ本を贈っている。
「クレーの絵本」「クレーの天使」(詩:谷川俊太郎)
パウル・クレーの絵に、谷川俊太郎が詩をつけたもので、絵本なんだけど、子供より大人のほうが楽しめる。とても癒される。絵に添えられている詩は、一見関係なさそうに感じるものもあるのだけど、読んでいくと詩を読んでから絵を書いたのではと思うくらいぴったりくるから不思議だ。 興味のある方は、ぜひ一読ください。オススメです。
現代詩というのは、難解でとっつきにくい。言葉をこねくりまわしている感じがする。私の勤めている会社の社長は詩人だし、社としていろんな人の詩集を出しているのだけど、どれもいまいちピンとこない。 でも谷川俊太郎は違う。わかりやすい言葉で書いてあるのに、心にひびく。本当に上手い人というのは、技巧的にならなくたって、いい詩が書けるのだ。 国語の教科書にも載っている「生きる」という詩がある。これを読んだ時は、涙が出そうになった。
生きる
生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ 木(こ)もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみすること あなたと手をつなぐこと
生きているということ いま生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ いま生きているということ 泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ
生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えるということ いま地球が廻っているということ いまどこかで産声(うぶごえ)があがるということ いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ 海はとどろくということ かたつむりははうということ 人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ
分からない言葉は一つもない。ふだん自分達が使っている言葉ばかりなのに、心臓をわしづかみにされたような衝撃があった。谷川俊太郎は信用できる、とそのときに瞬間的に思った。この詩を読むときは、ぜひ声に出して読んでもらいたい。
朝のリレー
カムチャツカの若者が きりんの夢を見ているとき メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする この地球では いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から経度へと そうしていわば交替で地球を守る 眠る前のひととき耳をすますと どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
これは、最近CMで使われていたので、聞いたことがある人も多いと思う。 地球上の人たちが、毎日毎日、朝をリレーして交替で地球を守っていると考えるのはとても楽しい。みんながそういうふうに思ってくれたら、戦争なんかおきないのにって切実に思う。
2004/04/23(きんようび)
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[ 貧乏 ]
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息子があれ買ってこれ買ってとうるさいので、 「うちは貧乏だから買えないの!」 というと、貧乏という意味はよくわからずともその響きになにやら不穏なものを感じたようで、以来ことあるごとに
「どうしてうちは貧乏なの?パパもママも働いてるのに。ちゃんと働いてないんじゃないの?」
「部屋の中がちらかっているから、お金がたまらないんじゃないの?」
などと姑か小姑のようなことをいうようになってしまった。 あんまりたびたび言われるので、やっぱりちゃんと働いてないから貧乏なのかとか、部屋の乱れは心の乱れ、家計をきちんと管理できないのは部屋の片付けもまともにできないせいか、などと息子の言葉に真理を見出してしまったりした。いいや、それは気の迷い。ここでぐらっとしておもちゃなど買い与えるのは教育上よろしくないので、ぐっと踏みとどまる。
「ばか」とか「死んじゃう」とか我が家では禁句なのだが、これからは「貧乏」とついでに「でぶ」も禁句にしようっと。
2004/04/20(かようび)
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[ 『散文売りの少女』 ダニエル・ペナック著 白水社刊 ★★☆☆☆ ]
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フランスのミステリー小説。 フランスの小説って苦手。映画も。なんかものすごく修飾語とか引用とか比喩とか多くて、おなか一杯になるんだもん。映画は流れている空気が苦手。ねっとりしてるというか、ちょっと酸素が足りない感じ。 パリには一度しか行ったことはないので、偉そうなことは言えないけど、私向きの町でないことは確か。パンはおいしいし、カフェは適当に入ってもはずれないし、美術館は最高だし、いいんだけど、住むならイタリアとかスペインとかがいいなぁ。食べ物がおいしいし、国民は陽気だし。パリは旅行でいいや。 この本は、まあミステリーだし、なんとか読めた。でも、無意味なギャグ(ギャグはみんな無意味かもしれないが)がちりばめられていて、疲れる。
例のごとく、会社の近くの図書館にて発見。でなきゃ読まないって。発売したときに、週刊ブックレビューで見て、ちょっと読んでみたいとは思ったんだけど、値段とフランスってことで躊躇してたもの。よくこんな本がおいてあるよなぁ。そして見つけるワタシ。僥倖と思って借りた。白水社で出しているミステリーだもんなぁ。売れない条件が揃っている。
どうして読みたかったかというと、紹介のところで「主人公は職業的スケープゴートで」というフレーズがあったからだ。生贄を仕事にしてるってどういうこと? 読んでみれば、何のことはない、人の身代わりになって苦情を処理する仕事であった。それを「職業的スケープゴート」とは。ことほどさようにフランスの小説はコテコテなのだ。苦情処理係って言えばいいじゃん。まあ、それが天才的にうまいというのが主人公のとりえで、今回の事件は、やはり人の身代わりになったことで巻き込まれていくので、重要なアイテムではある。
シリーズ本の三巻目だか四巻目なので、登場人物の紹介とかもあまりなく、入り込むまでにやや時間がかかったけど、読み始めるとけっこうすらすら読めた。翻訳ものは人の名前を覚えるのに苦労する。今回も例外でなく、何度もカバー袖に書かれている「登場人物表」を見た。また出てくる人が多いんだ。話の筋にそんなに関係ない人物までかなり作りこんであって、物語の幅は広がるけれど、読むほうはたいへんだ。
著者は本国ではたいへんな人気作家で、日本でいえば宮部みゆきクラスらしい。駅のキオスクでもセット販売してるんだそうだ。キオスクで箱で買っても、持って帰るのが一苦労じゃないだろうか。
まあ、そんなこんなで★二つ。
2004/04/16(きんようび)
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[ いのちをふたつもちしものなし ]
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世界情勢とか、宗教論争とか、石油の採掘権とか、そんな難しいことは私にはわからない。本当に正直な感想だけど、どうして世界はこういうことになっちゃったのか、誰か、誰でもいいから出て来て私にも分かるように説明して欲しい。 でも私だって、今のイラクがひどいことになっているのはわかる。それがアメリカのせいだというのも事実だろう。 とうとう民間人が人質になってしまったし。それについては言いたいこともあるが、今は、無事に帰ってくることを祈っている。
遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし (土岐善麿『六月』)
日中戦争下の作品というから、1940年前後か。 今のイラクの状態と言ってもなんら支障はない、普遍的な戦争詠だ。 社会詠というのは、すぐに風化するので、その場限りになりがちである。それでも詠み続けることによって、そのうちの本当に一握りが普遍性を獲得し、人口に膾炙するのだ。
自爆テロで100人、米軍の誤爆で200人、一回の戦争で何万人という人が死ぬ。罪もない人も、兵隊も、テロ集団もみんな死ぬ。いのちをふたつもっている人はいないからだ。フセインだってビンラディンだっていつか死ぬ。それは、裁判で死刑になって死ぬか、民衆が暴徒になって殺されるか、あるいは逃げ切って数十年後に老衰で死ぬかわからないけど、いつかは死ぬ。「1人殺せば殺人、1万人殺せば英雄」とは誰の言葉だったろう。 もう感覚が麻痺してしまうのだろうな。麻痺しなければ自分のほうがおかしくなる。前線へ出れば、躊躇は即、自分の死につながるのだから。では、前線へ出もしなければ、自分の手を汚すこともなく戦争を指示している人々はどうか。彼らもある意味では麻痺しているのだろうけど、それは前線の兵士の麻痺とは種類の違うものだ。そしてそれは決して赦されるものではない。
なんか、何がいいたいのかわからなくなってしまった。頭が悪いので、いろいろ考えると、最初に何を考えていたのかわからなくなる。誰が悪いとか、誰のせいとかそういうのはもういいから、とにかく終わらせてほしい。そして、子供たちが犠牲になるのだけは、どんな大義名分があったって、許せない。絶対に。
2004/04/13(かようび)
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[ おにぎり ]
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会社の近くになぜかおにぎり屋さんが5軒もある。2軒はテイクアウト専門で、出来たものを並べて売っている。 残りの3軒はお店で食べることができる。そのうちの1軒はほんとうにおにぎり(とみそ汁と漬け物)しか出さない店で、さすがにちょっとそれは物足りないので一度しか行ったことがない。おにぎりで勝負だ!というほどうまくないし。
残る1軒のうち、大きい方は店長がちょっと恐い。不良っぽいというか。怒らせたらやばい感じ。で、やっぱりお店でよく従業員を叱っている。どうみても顔で選んだとしか思えないバイトの女の子のオーダーの取りかたが悪いとかすぐにお茶をださなかったとか話を聞いてなかったとかですぐ怒る。しかもお客の前で。それはあんまりよくないよ、と思っていてしばらく行かなくて、あるとき行ってみたら、いかにも仕事ができそうな太ったおねえちゃんがバリバリ働いていた。商売人は顔じゃなくて働きなんだと悟ったらしい。あの店は伸びるな。メニューにも工夫を凝らしているし。
もう1軒は、店長がTVチャンピオンの「おにぎり王」に出たことがあるお店で、なかなかよいと思っていたのだが、バイトの女の子とできちゃった風なのがよくない。午後1時頃に行ったのだけど、私しかお客がいなく、その私だってすぐに帰るんだからそれまで待てばいいのに、賄いを食べはじめた。しかもいちゃいちゃと。おいおい。
「えー、そんなに食べられなーい」 「ぜったいうまいから」 「あ、ほんと、おいしー」
これじゃ、同棲をはじめたばかりのカップルのままごとだよ。勘弁して欲しい。 そして味は確実に落ちていた。甘い生活で、味覚まで甘くなったのか?もう行かない。そのうちつぶれるな。私のそういう勘はおそろしく当たるのだ。 目を覚ませ!でなければ、確実につぶれるぞ!
まあ、私には関係ないですけどね。
2004/04/09(きんようび)
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[ いのち ]
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六本木ヒルズの回転ドアの事故(いや、あれはもう「事件」と呼ぶべきか?あきらかに商売を重視して安全をおろそかにした企業の所業だ。ゆるせん。しかも責任をなすりつけあっているのが見苦しい。)は、被害者の男の子が息子と同じ名前なので、他人事ではない。そうでなくても、うちの息子もすぐに飛び出すので、ああいう事故に遭わないとはいえない。今までがラッキーだっただけだと本当に思う。
子供ができてから、子供が被害に遭うニュースには敏感になった。虐待のニュースは、純粋に子供がかわいそうで、その親に腹が立つばかりだが、不慮の事故(交通事故・医療ミスetc)などで子供を失った場合、子供がかわいそうなのはもちろんだが、その親の心中を察するに余りある。 すぐに「自分だったら・・・」と思い、とても平静ではいられないだろうと考える。確実に泣き暮らす。葬式なんかやりたくない。火葬?とんでもない。骨をお墓に?あんな暗いところに入れるなんてできない。そして毎日毎日アルバムとか保育園で制作したものとかを見ながら抜け殻のように生きていくのだ。そういう気がすごくする。自分のことだからよくわかる。そうなったときの私はものすごく感情に流されっぱなしになるのだ。そして最悪の選択をすることもありうる。
誤解を恐れずに言えば、私には子供が二人いて、もし万が一どちらかの子供を失ってしまったら、本当に気が狂う寸前までいくだろうとは思うけど、もう一人の子供が私を現実に戻してくれるだろう。それは、例えば「保険」のようなものかもしれない。失った子供の代わりには誰もなれないけれど、私が泣き暮らすことをもう一人の子供が許さないだろう。それは残された子供に対してとても失礼なことだから。失った子供も私が泣き暮らすことを喜びはしないだろうし、まして後を追ったりすることを望んではいないのだ。淋しさのあまり後を追うことは、失った子供にも失礼なのだ。だから、どんなにつらくても生きていかなくてはならないと思う。そしてその子が生きていたことでどれだけ自分が幸せだったかを忘れないでいてあげなくてはいけない。それが自分が生きていく理由だと思う。
今、書きながらすでに泣きそうになっている私。大丈夫なのか、そんなことで!母は強しというけれど、涙もろくなっていけない。
溝川涼くんのご冥福を本当に心からお祈りしています。 びっくりしたよね、痛かったよね。もっともっとおかあさんと一緒にいたかったのに、くやしいね。でもおかあさんももっとくやしいし、もっと悲しんでいるよ。できることなら、もういちどだけでもおかあさんのところへ行って、大好きだよって伝えられたらいいのにね。
そして涼くんのお母さんが自分ばかりを責めるのをやめてくれることを願っています。 あなたは悪くない。六本木ヒルズに行ったことも涼くんの手を離してしまったことも結果として過ちになってしまったかもしれないけれど、そのせいで涼くんが死ななければならなかったわけではない。決してあなたのせいではない。悔やんでも悔やみきれないけれど、それだけに埋没してはいけない。自分を責めることで悲しみを紛らわすことはやめてほしい。 悔しいけれど、憎しみだけに染まらないで。そして、癒されていくことを拒まないで。それは涼くんを忘れることではないから。楽しかったことを思い出して。いっぱいあったはずだから。そしてその中から生きていく勇気を見つけ出して欲しい。
これは、同じ子供を持つ親として、自分への戒めでもある。
2004/04/07(すいようび)
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[ 病院選び ]
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病院を選ぶのは難しい。
今、悩んでいるのは小児科。 今のところ、用途に応じて2件を使い分けている。 一番近所にあるK医院と夜6時半までやっているSクリニック。どちらも一長一短なのだ。
K医院の場合、院長先生がご高齢で、あまり薬を出したがらない。抗生物質はほとんど処方してくれないので、治りが遅い。でも注射の腕はピカイチ。うちの子たちは、ここの先生に注射されて泣いたことはない。
Sクリニックの場合、24時間、電話で診療予約が入れられるので、決められた時間に行けば、待たずにみてもらえる。夜6時半までやっているのも魅力。でもすぐに抗生物質をだすし、ちょっとでも下痢や嘔吐をしていると点滴をされる。診療もあっという間だ。 この間、娘が風邪をひいて見てもらったときに、隣にいた息子が「早っ。もう終わりなの?」と言って、冷や汗をかいた。先生も苦笑い。
一時、便利なのでSクリニックによく行っていたのだが、あるとき新聞記事で、抗生物質を乱発する医師の記事を読んで、やはりよくないのかもと思って足が遠のいた。 抗生物質で早く治したいのは親のエゴかもしれないとも思った。対症療法で症状をおさえて、あとは栄養のあるものを食べさせて、子供の自然治癒力を信じるほうがいいのかも、と。
それでしばらくK医院に行っていたのだけど、私の病気で(内科もやっている)ものすごい誤診をされたので、今度はこっちの病院への足が遠のいた。だって、尿管結石だったのに、レントゲンを撮ったあげくに肋骨が折れてるかもしれないと言ったのだ。翌日、ものすごい痛みに救急で別の病院に行ったら、即座に尿管結石と判明した。あんまりではないか。
もう、どうすればいいのよぅ。 命に関わるような病気なら、もっと大きくて信用できる病院をと思うのだけど、普段の病気には近所のかかりつけに行きたいというのが人情ではないか。
他の病院もなくはないんだけど、また新しいところに行っても、別の不満(例えば看護婦さんが横柄とか)が出てくるような気がするし。
病院選びって難しい。 産院を選ぶ時も、悩んだんだよなぁ。結局妥協するしかないのかなぁ。なかなか自分にぴったりの病院ってないもんだ。
2004/04/06(かようび)
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[ 鉄腕アトム ]
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「鉄腕アトム」が終わった。日曜日の朝9:30からやっていた。他に見る番組がなく、アニメだしアトムだしということで子供に見せていたのだ。 最後まで見ておいてなんですが、いまいちでしたなぁ。 アトムは、さすがに一番最初の白黒の時のは見てないけど、子供のころ、何度か新作が作られて見たのを覚えている。漫画も読んだ。
で、画像的には当然一番きれいなんだけど、ストーリーがよくない。原作の漫画を全部読んだわけじゃないから、なんとも言えないけど、こんなこむつかしい話だったっけと首をかしげたくなる。 ロボットと人間が反目しあっていて、人間対ロボットという構図を前面に押し出し、その中でロボットであるアトムがことさらに「人間と仲良く」と言う。うそくさい。なんでこんな話にしたんだろうか。 「鉄腕アトム」は、もっとスカッとする話だったはずだ。そりゃあロボットと対立する人間の話もあったけど、基本的には人間とロボットが仲良く共存していて、アトムはもっとのびのびと活躍していた。窮地に陥った人間を10万馬力で助けてくれた。夢のある近未来のお話だった。 それが、映像はきれいで舞台も架空の未来都市ということになっているけど、そんなの全然楽しくない。 アトムをはじめとする「感情を持ったロボット」のことをAIロボットと呼んでいるのも気になった。そんな呼び方してたっけか?これからのロボット社会に向けての警鐘の意味も込めているのだろうか。お前達はホンダかどこかのロボット開発プロジェクトからの回し者か?と言いたい。
視聴率もよくなかったのではないと思う。うちの息子も実は全然見てなかった。オープニングのケミストリーの曲が好きだったのでそれだけは見ていたが。 曲といえば、オープニングもエンディングも曲がころころ変わったのも良くないと思う。定着しないじゃん。なんかスポンサーとかの絡みがあるんだろうけど、逆効果だ。途中から慌てて昔の「空をこえてラララ星のかなた〜」というのを流していたが後の祭りだ。 ストーリーをどこかで軌道修正するかなと思っていたけど、そんなこともないまま、とうとう終わってしまった。打ち切りじゃないのかなぁ。もともとあれで終わるはずだったのかなぁ。無理やりおわりに持っていった感じだけどな。
手塚治虫はすごいと思うけど、その遺志をきちんと継承しているかというのは疑問が残るな。NHKで「火の鳥」もやるけど、あれもどうなんだろう。遺志を継ぐという話でいけば、「ドラえもん」はよくやっていると思う。きちんと藤子・F・不二雄の思いが伝わってくる。あそこのスタッフはえらい。会った事ないけど。
なにはともあれ、原作どおりの「正義の味方・鉄腕アトム」が見たいなぁ。
2004/04/02(きんようび)
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