第0話 僕が写真を撮る理由。あるいは散財への言い訳
2002/11/22

 こうやってはっきり書いてしまうと、苦笑するほかないが、僕は昔から『クリエイター』あるいは『アーチスト』になりたかった。要するに、何か創作し、発表できるような人である。

 ギターやキーボードを買ったこともあるし、パソコンで作曲に挑戦したこともある。ワープロソフトを買って小説やエッセイのようなものをこっそり書いてみたりしたこともある。そして、よくある話ではあるが、僕はFのコードを押さえられないし、曲どころか楽譜も読めるようになれなかったし、小説は書き出しの1ページで終わった。

 早い話が、根気がない。努力が出来ないへタレなのである。

 別にプロになりたいとか思うわけではない。実際のところ、誰かに『自分』を伝えたいという切実な思いを持っているわけでもない。ただ単に『創作』に対する憧れだけなのだから、自己満足でもよかった。それなのに、音楽などは敷居が高い。

 しかし、写真は撮るだけなら、シャッターを切るだけだ。とりあえずカメラさえ買えば、誰でも入り口には立てる。それに気がついたとき、僕にとってカメラは記録用の機械から、ギターやピアノや絵筆やマッキントッシュと同じポジションになった。

 敷居が低い分、壁も早く現れる。思ったような写真が撮れないことに、すぐに気がつく。世の中そんなに甘くない。誰でもブレッソンやアラーキーやHIROMIX(このチョイスに深い意味はないので悪しからず)になれるわけはない。

 そんなとき、ついついカメラを買ってしまう。「このカメラ(レンズ)なら自分の撮りたい写真が撮れるはず」、、、、カメラを複数持っている人なら分かるでしょう、この気持ちは。もちろん、カメラを変えても木村伊兵衛になれる訳はないが、気分転換にはなって、写真を撮るモチベーションは上がる。

 こういう事を繰り返していると、カメラの知識も付いてきて、逆に「こういうカメラが面白そうだ」となって、ついついネットサーフィンの勢いのまま中古カメラ屋のホームページへ行き「ポチッとな」とばかりに注文ボタンを押してしまう。こうなると、手段と目的が逆転してしまっているので、時々反省する。でも、元来機械モノ好きだから、楽しいのだ、これが。

 だんだん、何を書いているのか分からなくなってきた。何だかんだバカなことをしている気がするが、何百枚に一枚くらいは、『これぞ』という写真が撮れることもある(もちろん、そう思っているのは自分だけなのだが)。その瞬間、『クリエーター』だけが得られる気持ちになれるのだ。それが忘れられなくて、僕は写真を撮り続け、そしてカメラを買い続けるのだと思う。

 思うんだってば(誰に向かって言ってるのやら)。

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